裸体画100年の歩み

会期:1983年10月7日~12月4日

人間の裸体は絵画におけるとりわけ重要なモチーフであり、西洋では原始以来多くの画家が裸体表現に取り組んできた。一方日本では浮世絵などをのぞけば裸体画の伝統に乏しく、明治になってから主として西洋から学んで、わが国の風土に根ざした独自の表現へと展開させてきた。本展は、この裸体画100年の歩みを、西洋のそれを参照しつつたどることによって、近代美術の一つの側面を明らかにすることを目的として企画された。
 出品点数は合計154点。その内訳は日本人作家114点、外国人作家40点で、時代別にみると戦前72点、戦後72点、日本人作家のうち油絵70点、日本画44点である。日本画で裸体画が本格的に登場するのは戦後であるが、油絵に関する限り、100年の歩みは一応順序だててたどられていた。
このように全体として見ると近代美術の流れをたどっていることになったが、そのなかでも裸体画というモチーフにまつわる著しい事象がいくつかあげられる。
その第一は裸体というモチーフそのものになれない日本人がとくに社会通念の上から倫理的に反応したことである。明治28年黒田清輝の「朝妝」がとくに京都においてやかましく論じられたことはその例である。芸術の問題である前にまず社会倫理の問題となったのであり、このことは作家によっても予想されていたのである。しかし、この問題も大正から昭和にかけて西洋的近代化の方向が社会的に定着するにつれて解消してしまい、一応本来の美術上の問題として扱われるようになった。坂田一男はキュビスムを摂取し、安井曾太郎、梅原龍三郎、萬鉄五郎らはフォーヴやキュビスムを受容しながらもやがてはいかにも日本的な味わいを画面に定着させていった。これらに、日本の土着性を前面に押し出した椿貞雄、片多徳郎、大阪人ならではのねちっこさを画面一杯に描き出した小出楢重らを加えれば戦前の日本における近代美術の流れはほぼとらえられたといえよう。
特徴の第二は第二次世界大戦で敗戦という未曾有の苦痛にみちた経験の中から生まれた人間像表現としての裸体画である。阿部展也、鶴岡政男、さらには河原温といった作家に見られる現実直視の姿勢はいまなお強い迫力を持っている。このような傾向はまったく形は違うが、それまで裸体画を取り上げなかった日本画にも現われ、興味ある作品を生み出している。また欧米においてもこうした態度はニューペインティングといわれる最近の傾向にも色濃く現われて注目を集めている。本展ではバゼリッツ、ペンク、キーファー、サロメ、シュナーベル等これまで一部でしか見られなかった最新の傾向の作品をも陳列し、話題を提供した。
一般的に見てテーマをかかげる展覧会は専門的にみると面白くとも一般性という点からは必ずしもそうでないことが多々あるようだが、本展のようになじみ深いテーマの場合は親しみやすい展覧になりうるように思われる。そういう点では意義ある企画であった。
会場は、4、3、2階と1階Aを使用し、4階には戦前の油絵を、3階には日本画と戦後の油絵を、2階、1階に現代の作品を陳列した。外国作家の作品はとくにわけないで、それぞれの場所で比較させうるように陳列した。

  • 入場者:総数13,829人(1日平均271人)
  • 主催:国立国際美術館
  • カタログ:「裸体画100年の歩み」
    24.5×25.5cm/120ページ/12ページ/白黒73ページ
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