あなたの肖像-工藤哲巳回顧展プレ・イヴェントの開催が決定しました
2013年5月2日|お知らせ
「あなたの肖像」は、工藤哲巳が最も好んで使用した題名のひとつです。「あなた」とは、作品をご覧になるあなたのことであり、既成の価値観や約束事に縛られた私たちのことです。と同時に、自作の最初の観客である工藤自身をも指します。それはまた、今なお制御不能な状態が続く放射能による環境汚染から逃れられない人類の肖像でもあるのです。
眼球や鼻がトランジスタとともに養殖され、肥大化した大脳が乳母車に乗せられ、男性器が小魚と一緒に水槽内を泳ぎ、遺伝染色体による綾取りをする人物が鳥籠の中で瞑想するなど、工藤の作品はおぞましく不気味に見えるかもしれません。それは、悲惨な未来の地獄郷でしょうか。いやそうではなく、そのようにしか生き残れない人間と自然とテクノロジーとが渾然一体となった、逆説的なパラダイスにほかなりません。
工藤哲巳(1935-1990)は、大阪に生まれ、少年期を父の出身地青森で暮らし、1945年に父が早世した後、母の郷里岡山で高校までを過ごしました。東京藝術大学在学中から、戦後の前衛美術の牙城であった読売アンデパンダン展に出品し、篠原有司男や荒川修作らとともに「反芸術」世代の代表格となりましたが、1962年に国際青年美術家展での大賞受賞を機に、渡仏しました。その後、約20年、パリを本拠に、ヨーロッパを活動の場として、文明批評的な視点と科学的な思考とを結びつけた独自の世界を展開しました。
しかし、工藤は、かつての洋行画家たちのようにパリに学ぼうとしたのではありません。性や公害、原子力など、人間の生存に関わる根源的な問題やタブーに果敢に斬り込んで、近代ヨーロッパのヒューマニズム(人間中心主義)を批判、攻撃し、挑発的な作品と刺激的なハプニングを通して、ヨーロッパを治療しようとしたのです。
1969年に一時帰国し、巨大な岩壁レリーフ《脱皮の記念碑》を千葉県房総の鋸山に制作。1970年にデュッセルドルフのクンストフェラインで、1972年にアムステルダム市立美術館で、それぞれ個展が開かれ、ヨーロッパでの評価を確かなものにします。1970年代の中頃からは、攻撃の目標が芸術家自身に向けられ、一転して内省的、自画像的な作品が現れます。
1980年代に入ると、たびたび来日し、講演やシンポジウム、パフォーマンスを盛んに行うかたわら、「天皇制の構造」や「色紙」の連作などを発表して、日本の社会構造を根幹から見つめなおす作品を展開します。1987年には母校の東京藝術大学の教授に就任しましたが、1990年11月12日に55歳の若さで他界しました。
没後、国内では1994年に国立国際美術館(大阪)で「工藤哲巳回顧展−異議と創造」が開かれましたが、近年、国際的にも再評価の気運が高まっています。2007年にはパリのラ・メゾン・ルージュで個展が開かれ、2008年から翌年にかけてはアメリカのウォーカー・アート・センターで大規模な回顧展が実現し、工藤の仕事がアメリカで初めて本格的に紹介されました。
今回の回顧展では、初期の絵画から、鳥籠や水槽などを使った多彩なオブジェやデッサン、1994年の回顧展では紹介できなかったデッキチェアや乳母車を用いた1960年代半ばの充実した作品群、さらにハプニングやパフォーマンスの記録写真や関連資料をふんだんに盛り込んで展示します。国内所蔵の作品をほとんど網羅するほか、アムステルダム市立美術館、ウォーカー・アート・センター、ゲント現代美術館(S.M.A.K.)、ニューヨーク近代美術館、ポンピドゥー・センターなど、日本初公開作品を含む海外からのコレクションとともに、工藤哲巳の30年余りにわたる活動を包括的にご紹介します。
この展覧会のプレ・イヴェントとして、2013年6月15日(土)に国立国際美術館で、6月23日(日)に東京国立近代美術館で、工藤哲巳についての研究報告会を行いました。