第2回中之島映像劇場 日本のビデオアート—1980 年代—
「中之島映像劇場」の第2回は、当館保管作品を中心として、1980年代の日本のビデオアート作品を上映します。
誕生期(1960~70年代)に続くビデオアートの1980年代は、興隆と高揚の時期であったと考えられます。
- (現在ほどではないにしても)カメラやVTRが普及し、技術的に細かい編集が可能になったこと。
- そうした装置システムを使える環境は容易には得られませんでしたが、美術系の大学などがビデオ機器を揃え、作家の育成に乗り出したこと。
- 1980年、ビデオを専門に扱うビデオ・ギャラリーSCANが誕生し、登竜門となる公募展を開催し、若手の作家の育成とともに、国際的な作家の交流を推進したこと(ビル・ヴィオラやゲイリー・ヒルの滞日制作)。
- ビデオ機器のメーカーが主催するコンテストが、アマチュア(ホームビデオ)とアーティストとに分け隔てのない門戸を開いたこと。
- 美術館でもアンデパンダン形式やテーマ展、作家展という形でビデオアートの展観を進めたこと。例えば、大阪府立現代美術センター(1980年以降開催)、福岡市美術館(1981年、「パフォーマンス・イン・ビデオ」展、ほか)、富山県立近代美術館(1983年、「第2回現代芸術祭―芸術と工学」)、「第二の環―80 年代ビデオへの視点」の各地 巡回(1984年)、ほかです。特に、1984年に東京都美術館で開催されたナムジュン・パイク展の影響は絶大であったと思われます。
- ビデオやメディア機器を使った表現に特化するフェスティバルが多数開催されるようになったこと(1985年の「第1回ふくい国際ビデオ’85フェスティバル」、「ハイ・テクノロジー・アート国際展1986」、ほか)。
こうした状況下に多くの新人が育ち、あるいは、誕生期からの作家の仕事の展開が見られました。ビデオテープが簡単に郵便などで送付できることもあずかり、国際的な交流が盛んになり、この国の作品が海外の展覧会やフェスティバルにおいて上映されていきました(時には作家自身も参加しました)。
本上映会は、当館で昨年9月に巡回上映を行った「Vital Signals:日米初期ビデオアート上映会―芸術とテクノロジーの可能性―」に続くプログラムになります。日本のビデオアートの充実期である1980年代。本プログラムはその一端であるいくつかの傾向をかろうじて垣間見るにすぎません。
とはいえ、ビデオによる映像制作が簡易化し、美術と映像との複合が一般化した現在、今回上映する作品群が過去の仕事の再発見と評価、位置付けにつながり、同時に現在の状況を批判的に捉える契機となることを願うものです。
- 主催
- 国立国際美術館
- 協賛
- (財)ダイキン工業現代美術振興財団
- 開催日
- 2011年10月22日(土)、23日(日)
Aプログラム
- 斎藤信《Frame by Frame DO-OR》《Frame by Frame TO-W-ER》(1984年)
- 斎藤信《Locus》(1985年)
- ビジュアル・ブレインズ(風間正+大津はつね)《One Two 3 Times 3》(1986年)
- ビジュアル・ブレインズ(風間正+大津はつね)《Rec Zone》(1988年)
- ビジュアル・ブレインズ(風間正+大津はつね)《De-Sign 1(訓練)》(1989年)
- 伊奈新祐《FLOW (2)》(1983年)
- 伊奈新祐《Sha》(1986年)
- 島野義孝《カメラと、私のカメラ》(1983年)
- 島野義孝《ころがすこと》(1984年)
- 島野義孝《テレビドラマ》(1987年)
Bプログラム
- 寺井弘典《I SAY…》(1983年)
- 寺井弘典《1・1/2》(1984年)
- 出光真子《グレート・マザー 幸子》(1984年)
- 出光真子《洋二、どうしたの?》(1987年)
- 出光真子《清子の場合》(1989年)