会期:1994年10月6日~11月29日
工藤哲巳は、1950年代末から、読売アンデパンダン展を中心に活動をはじめた「反芸術」世代の一人。その破壊的攻撃的な作品によって大いに注目を集め、国際青年美術家展で大賞を受賞したのを機に、1962年、パリに渡る。その後約20年間、パリを本拠にヨーロッパにとどまり、セックスや公害など社会的なタブーに果敢に斬り込んで近代ヨーロッパのヒューマニズムを批判する攻撃的なオブジェやハプニング、それに頭を剃りあげた独特の風貌と過激な言動があいまって、恐れられかつ愛されて、国際的な活躍を続けた。
永い間ほとんど交渉を絶っていた日本へも、1980年代になって時折現れるようになり、「天皇制の構造」や「色紙」のシリーズなどを発表、講演などもさかんに行った。しかしそれは単純な日本回帰ではなく、ひとまずヨーロッパを終えて、観察や批判の対象として新たに日本を選んだ、ということだったのかも知れない。さらに、1987年には、母校東京芸術大学の教授に就任し周囲を驚かせたが、多くの期待を残したまま、1990年11月12日他界した。
本展では、初期の絵画から、鳥籠をはじめとする多彩なオブジェ、デッサン、版画などを展示した。出品作品は、国内の75点にパリからの23点を加えた 98点、それにハプニングの記録写真や関連の資料などをあわせて展示し、工藤哲巳が30年以上にわたって切り開いた地平と精神を探った。なお、同展は岡山県立美術館(1995年1月5日~2月5日)に巡回した。