アジア近代絵画の夜明け展 -天心・タゴール以後の日本とインド

会期:1985年 3月16日~4月16日

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1898(明治31)年、岡倉天心は東京美術学校長を去り、日本美術院を創立し、西洋画と拮抗しうる新しい日本画の創造を目ざして後進の育成を始めている。同時に、「アジアはひとつ」という主張を熟成させつつあった天心は、中国に次いで、1901(明治34)年から1年間インドを訪れ、詩聖ラビーンドラナート・タゴール、アバニンドラナート・タゴールらベンガル派の美術家達と深く交っている。ベンガル派は、イギリスのインド統治とともに西洋美術が自国に氾濫するようになった風潮を潔しとせず、インド固有の伝統に基づく独自の新しい美術様式を生み出すための運動をカルカッタを中心として興した一派である。
天心を指導者と仰ぐ横山大観、菱田春草は、インドから帰国した天心の仲介で、1903(明治36)年に4ヶ月間インドに滞在している。その間2人は、カルカッタで自分たちの作品展を開いて好評を博し、ベンガル派の画家達との交流も深めている。
その後、天心は1912(明治45)年に再度インドへ渡り、詩聖タゴールらは1916(大正5)年以来幾度も日本を訪れ、ベンガル派の作品を日本に紹介している。そして詩聖タゴールの要請に基づき、荒井寛方は1916(大正5)年より1918(大正7)年まで、ベンガル派の画家達に墨絵などの絵画教授を行い、またこれを機にアジャンタ壁画の模写も手がけている。
その他、町田曲江、今村紫紅、石崎光瑶、堅山南風などは、自分の画風の新境地を追い求めてインド行を企てている。さらに、中村岳陵、村上華岳、堂本印象らは、渡印の経験はないものの、インドの美術や思想に大きな影響を受けた作品を発表している。
本展は、以上のような事実をふまえ、新しい主題をインドに求めた日本画家達の作品35点、日本の美術にふれたベンガル派の画家達の作品70点を展示した。こうした作品の紹介を通じて、日印両国間の伝統と近代美術が、お互いに感化し合った過程や、日印両国それぞれが近代化に伴う美術革新の渦中のなかで、いかに自分たちの独自性を確立しようと努力したかを明らかにする一助となすことに、本展の意義があったと思われる。
なお、1984(昭和59)年は、ベンガル派の重要な画家で数多くの後進者を育成したナンダラール・ボースの生誕百年に当たり、彼の大回顧展がインドの主要都市はもとより香港、北京を巡回したが、そのうちの主要な作品60点が本展出品のベンガル派作品のほとんどを占めていた。また、本展開催の昭和60年に、天心ゆかりの日本美術院は、再興70周年を迎え、本展出品の日本画家達のほとんどが同院ゆかりの人々であった。本展は、これら2つのめぐりあわせを記念する意味をもこめていたわけで、当館ののち、下関市立美術館、栃木県立美術館、東京都庭園美術館へ巡回した。ただし、巡回先が多かったために、本展の日本画作品は、作品保全やその他の理由により、本展カタログに収録した作品の一部づつしか各会場とも展示できなかったのが残念であった。

  • 入場者:総数6,830人(1日平均243人)
  • 主催:国立国際美術館
  • 共催:毎日新聞社
  • カタログ:「アジア近代絵画の夜明け展−天心・タゴール以後の日本とインド」
    24×25cm/124ページ/カラー24ページ/白黒47ページ
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