会期:1982年4月3日~5月11日
本展は、現代の日本画における代表的風景画家東山魁夷の50余年に及ぶ画業の全容を紹介する展覧会として企画された。そのため東山魁夷展としては、これまでにない最大規模のものとなり、出品には、昭和初期の作品から戦後風景画家として開眼した作品、北欧や中国の遍歴の成果、門外不出とされていた山種美術館の壁画など東山芸術の代表作83点と、スケッチ等48点を厳選し、展示した。さらに、唐招提寺御影堂の障壁画69面と鑑真和上像厨子絵をあわせて公開した。
明治41年(1908)、横浜に生まれ、少年期を神戸で過ごした東山魁夷は、昭和6年(1931)、東京美術学校日本画科を卒業後、当時の日本画研究生としては珍しくドイツに留学し、西洋美術についての造詣を深めた。帰国後、長い修業時代を経て、戦後、風景画家として開眼した名作《残照》(1947年) をはじめ、《月宵》(1948年)、《郷愁》(1948年)、《道》(1950年)などの日本の自然の実景に基づく作品を発表した。
その後、国内での制作だけにとどまらず、昭和37年(1962)には、スウェーデン、ノルウェーなどの北欧に赴き、《映像》(1962年)、《冬華》(1964年)、《白夜光》(1965年)などの豊かな抒情性と深い精神性にあふれた一連の風景画を描いた。
その後、東山魁夷の関心は日本に回帰し、《花明り》(1968年)、《行く春》(1968年)、《青い峡》(1968年)、《夕涼》(1968年)、《北山初雪》(1968年)など日本の古都・京都を主題とした京洛四季の連作を発表した。さらに、1969年ドイツ、オーストリアの古都を巡り《みづうみ》(1969年)、《雪の城》(1970年)、《晩鐘》(1971年)、《石の窓》(1971年)などの幻想的な西洋の古都の風景を描いた。
展示場は4階、3階、2階、1階(A)を使用した。とくに、4階は、唐招提寺御影堂の室内を再現し、《山雲》(1975年)、《濤声》(1975年)、《黄山暁雲》(1980年)、《揚州薫風》(1980年)、《桂林月宵》(1980年)および、厨子絵《瑞光》(1981年)を壮厳な雰囲気をかもし出すよう展示し、あわせて、中国を主題としたスケッチ《天山遙か》(1977年)の15点も展示した。3階は、原則として、制作年代順に配置する方針をとり、昭和初期の作品から北欧を描いた作品までを展示した。2階は、京洛四季の連作、ドイツ・オーストリアの古都を描いた連作、中国の風景を描いた絵画、および、最新作《望春》(1981年)を展示した。1階(A)は、山種美術館所蔵の壁画《満ち来る潮》(1970年)、《窓》(1969年)のスケッチ15点と詩画集原画《コンコルド広場の椅子》(1976年)40点を展示した。
なお、1981年に東京国立近代美術館で「東山魁夷展」が開催され、また同年、東京の日本橋・高島屋で「東山魁夷唐招提寺全障壁画展」が開催され、いずれも入観者が30万人を越えたが、本展の総入観者数も30万人を越え当館の記録となった。