会期:1981年8月1日~9月15日
本展は1981年の5月2日から6月29日まで、パリの国立ロダン美術館で開催された佐藤忠良展の、いわば里帰り展としての性格を持つものであった。パリ展は、日本の具象作家のヨーロッパではじめての本格的な紹介として注目され、約3万人の入場者を記録した。関心の多くは、やはり伝統と西欧的な造形理念の受容とのかかわり方に向けられ、「物質主義の害を受けずに、しかも近代的な手段を用いている」(クロード・パレヌ/ラマチュール・ダール誌)などといった評が見られた。また佐藤はパリ展会期中に、フランス美術アカデミーの客員会員に推挙された。
本展は、パリ展と同じくブロンズ彫刻116点、セメント彫刻1点、デッサン20点で構成された。戦前の作品は戦災でほとんどが失われてしまい、2点の小品をのぞいて、いずれも1949年以降の約30年間に制作されたものである。作品のモチーフはかなり限定されていて、頭像と裸婦、子供の像が大半を占め、他には、小動物の作品などがわずかに見られるにすぎない。
頭像は戦前の《女の顔》(1941年)から最近作の《三年生》(1980年)までの48点である。《作家・高見順》(1968年)などの例外はあるが、彼の頭像には、特定の人物を制作するいわゆる肖像彫刻がほとんど見受けられない。戦後初期の代表作《群馬の人》(1957年)などに明らかなように、風土によってつちかわれた一つの典型を、具体的な体質感のうちにとらえた作品が多く試みられている。
裸婦は1953年の《やせた女》から1980年の《レイ》までの45点である。とりわけ1970年以降は裸婦が彼のもっとも重要なモチーフとなっており、帽子をかぶった女のシリーズ(1972−74)などでは、初期の頭像の風土性とは対照的に、今日的な風俗をも巧みにとりこんだ、さわやかな抒情の世界を展開している。
展示は3階と2階を使用し、今回はあえて制作年や作品傾向による分類には重きをおかず、会場での演出効果を優先させる方針をとった。裸婦の座像を対称的に向かいあわせ、一群の小品彫刻でグループをつくり、あるいは頭像を雁行する形に斜めに配置するなどである。ブロンズ彫刻を主体とした展示に変化をもたせる試みとして、一応の成功をおさめたように思われた。
なお本展は当館展終了後、同じ内容で東京・日本橋高島屋、宮城県美術館、広島県立美術館、熊本県立美術館、山形美術館、大分県立芸術会館、北海道立近代美術館を巡回した。