会期:1999年12月16日~2000年 2月6日
写真家石元泰博(1921−)によって1973年8月に撮影され、1978年に約110点の大型パネルにまとめられた《伝真言院曼荼羅》を紹介した。石元はサンフランシスコに生まれ、幼少時を高知で過ごしたが、再び1939年に渡米、1948年には、バウハウスの伝統を受け継ぐシカゴ・インスティテュート・オブ・デザイン写真学科に入学し、ハリー・キャラハン、アーロン・シスキンなどに師事した。1952年に同校卒業後、翌年に帰国し1954年にはタケミヤ画廊(東京)にて初個展、以来、アメリカと日本とを往復しながら写真作品を発表して来た。写真集『ある日ある所』では日本写真批評家協会新人賞を受賞し、『シカゴ・シカゴ』では毎日芸術賞を受賞、その後も1978年に芸術選奨文部大臣賞、1983年紫綬褒章受章、1996年文化功労者に選ばれるなど、その独特な表現は高く評価されている。石元の作品はモノクロームの仕事が多いが、今回の展覧会で並ぶ《伝真言院曼荼羅》写真パネルは全カラーである。
曼荼羅(マンダラ)とは本来インド古代言語であるサンスクリット語に由来する言葉で「本質を獲得するもの」を意味し、さらに仏教教理に照らしたとき、それは「悟りの境地を示すもの」といった意味になる。それゆえ、描かれた曼荼羅は密教的な悟りの境地を視覚的に提示したもの、言い換えるなら、それは仏の悟りが顕在化し遍く世界に広がる様相を表象した宇宙図と捉えることができる。ここで被写体となっている《伝真言院曼荼羅》は京都・教王護国寺の所蔵になる絹本着色、縦183×横154センチの絵画。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅の二幅一具の作品であり、胎蔵界は画面上方を東、金剛界は上方を西とした宇宙図で、いずれも中心には密教の根本仏たる大日如来を据えている。このように二幅をセット化する発想はインドで成立した仏教が東漸してのち8世紀の中国において案出された。当時、遣唐使の一員として彼方へ渡った弘法大師空海はこの最新の思想を学び、それをわが国へと伝えた。京都・神護寺には空海が制作した《高雄曼荼羅》が現存している。《伝真言院曼荼羅》はそれに続く9世紀後半期の曼荼羅の遺品で、その製作には空海の弟子宗叡が関与したと推察されている。一千年以上の歳月を経ているが、本図は保存状態に恵まれ、豊かで異国的な彩色を今に伝えており、それが最大の魅力となっている。
石元は写真家の鋭いまなざしでこの《伝真言院曼荼羅》を細部に至るまで徹底的に見据え、その本質を写し出した。世紀末、あらためて人間と自然との関わり、この宇宙の中での私たちの存在が問われようとしている今日、あらためて古くて新しい曼荼羅に展覧会会場で対峙してみるのは、意義深いことであった。