アクティヴィティ・パレット
聞こえ/る
提案者:山崎阿弥
音声でアクティヴィティを聞かれたい方はこちら
音が鳴り・あなたが聞こうとするとき、音とあなたが半分ずつ・能動的に・手繰り寄せようとする ― 音(がきこえる)という現象はそのようにして起きているのではないかと、私は考えます。
このプロセスでは、音が聞こえるときに、身体で起きていること、聴覚という感受の手が伸びていくさま、身体の拡張性を味わう時間を試みてみます。コロナの前も後も毎日いろんな方法で音を聞いていますが、その中からいくつかピックアップしてみました。
プロセスの中の感覚的な表現は、あくまで私が感じたことがベースになっています。真逆に感じる方もいるので、無理に自分を寄せたり曲げたりしないで、自分の身体に現れてくる感覚を味わってみてください。
1.耳をほぐす
指で耳に触れて、よくほぐしてください。
自分の耳の“地理”を指で確かめます。丁寧に触れていると、身体の中では小さなパーツのはずの耳が、広く長く感じられてきます。
2.耳の座標
よくほぐしたら、耳から手を放します。耳に宿ったぬくもりを手掛かりに、耳の位置を意識してみてください。“あのあたりだろう”とぼんやり認識するのではなく、“ここだ”と座標を特定するように、明確に自分に伝えます。
3.音を聞く
3-1) 耳のぬくもりを意識しながら、目を閉じて1分、開けて1分、周囲の音を聞いてみましょう。
音とぬくもり、どんなふうに感じますか?
私は、目を閉じて音を聞くと、耳のぬくもりが煙のようにくゆる感じがします。目を開けて聞くと、ぬくもりはふっと拡散するように感じます。もしくは後頭部の方へ軽く引っ張られる、ささやかな熱の重みを感じます。
3-2) 目を閉じて、音が聞こえるほうへ身体を向けてみましょう。
頭・首だけを回転させるのではなく上半身を音に向けます。音が動いたら、身体も音を追いかけて動かします。座っていても、立っていても、どちらでも構いませんが、下半身は動かさないようにします。今、自分がいる場所に錨を下して、そこから音の方へ伸びていく感覚を味わうためです。身体の前方だけでなく、後ろや左右、身体を取り巻く様々な方向の音を聞いてみます。
目を開けて同じことを試してみましょう。
3-3) 目を閉じて、音が聞こえる方を指さしてみます。
身体や顔の向きは変えずに、手と腕だけを音のする方へ動かして、人差し指で音を指します。音が動いたら、指/手/腕も一緒に動かしましょう。
目を開けた状態でも試してみましょう。ぼんやりと前方を眺めながら音を聞き、音が聞こえてくる方を指さします。音のするほうを目で見ず、顔や身体も向けずに、手と腕だけを音に向けて指してください。指先に目があり、その目が世界を聞いているような感じです。
3-4) 目を閉じて、音を聞きます。身体や指を動かさずに、聞いてみます。
ここまでのワークの名残から、身体の中の何かが「音の磁力」に吸い寄せられていくような感じがしませんか?たとえて言うと、生卵の中の黄身が殻の内壁に吸い寄せられていくような。
同じく、身体を動かさずに、目を開いて音を聞いてみましょう。ぼんやりと前方を眺めながら、音の磁力にまかせてみます。
このとき、なんとなく、耳が目のように・目が耳のように働いていませんか?
<ここでいちど深呼吸。>
4.音のエリア
では、もう一度音を聞いてみます。
今度は、音が聞こえた場所にマーキングします。音を聞くたびに電気のスイッチをピッ!と押すように「ここ!」と“マーキング=ここに音がある”と意識を置いてみます。ここまでの1~3のプロセスでは1音1音の方向感と身体の結びつきを意識しましたが、ここでは、できる限り多くの方向から多くの音を聞き、どんどん意識のスイッチをONしていきます。視覚が邪魔になると思われる方は目を閉じてもかまいません。
私は、たくさん聞き、たくさんマーキングすると、様々な星が輝く夜空のような、音の天球の中に居る感覚が芽生えてきます。かつて聞いた音はもうそこにはないのですが、“その音を聞いた”という意識の置き場所と身体の間には淡い関係性が残っていて、今聞こえている音がその綾に絡まって織りなすドームのような音鳴りの中に居るように感じられてきます。
うっすらと自分を包むような音の広がり/エリアが感じられてくるまで、たっぷり音を聞き、意識を置いてみます。
5.エリアを消す
「4」のエリアをたっぷり味わいます。
たっぷり味わったら、スイカの種を吐き出す100分の1ぐらいの力で“プッ”と音を立てて小さく息を吐きます。同時に、ONしてきたスイッチのブレーカーを一気に落とし、“プッ”の一瞬でエリアを消してみます。
6.音と身体を聞いてみる
エリアがはじけて消えた今、何が聞こえますか?
どんなふうに聞こえますか?
“エリア”と仮に呼んでいたあの広がりは、いったい何のことだったのでしょう?
エリアには、内と外があるのでしょうか?
あなたの身体は、どこまでがあなたの身体なのでしょうか?

※外部のウェブサイトに移動します。
聴覚がどんなふうに動いているのか、できる限り追って描いてみたアニメーションです。ここに記したプロセスを試すときの手掛かりになれば嬉しいです。
音の聞こえは毎日変わるので、その日のその時(2011年の8月)は、こんなふうに聞こえていたのだと思いますが、聞こうとする意識・聴覚が音と織りなして聞こえをつくる働き/動きは、いつも変わらず感じます。

山崎阿弥(声のアーティスト、美術家)
自らの発声とその響きを耳・声帯・皮膚で感受し、エコロケーション(反響定位)に近い方法を用いて空間を認識する。空間が持つ音響的な陰影をパフォーマンスやインスタレーションによって変容させることを試みながら、世界がどのように生成されているのかを問い続けている。量子力学に関心を持ち、科学者とのコラボレーションに力を入れている。近年はAsian Cultural Council フェロー(アメリカ、2017)、国際交流基金アジアセンターフェロー(フィリピン、2018)、瀬戸内国際芸術祭(2019)など。2022年(開催時期調整中)には「JAPAN. BODY_PERFORM_LIVE Resistance and resilience in Japanese contemporary art」(イタリア、ミラノ現代美術館)に出品・出演予定。
https://amingerz.wixsite.com/ami-yamasaki
(2021/3/5 時点)
今回のアクティヴィティを提案したおもい
私たちは、身体というネットワークを、思ったより複雑に十全に働かせています。一つの目的や行動に対応する身体の働きは一つではありません。そして、身体と呼ばれる体系の外へネットワークしていこうとするときも、想像よりずいぶん多くのことを注いでいます。リモートで疲れるのも、マスクをしていると音が聞こえにくいのも、私たちの身体が意識とタッグを組んで伸ばす感覚の複数の触手たちが、スクリーンやマスクにブロックされたからかもしれない、などと思ったりします。そんな時間の中にいる私たちが、身体の車両感覚を否応なく更新されつつも、どこかで伸縮の自由さを味わい、濃淡や軽重を面白がる時間と空間を試みられないものだろうか、と思いました。
けれど一方で、改まって自分を味わうのはある種恐ろしい体験です。私は18歳の時初めてアレクサンダーテクニックを体験して、自分の腕がどこまで床に沈んでいくのか分からなくなり泣き出してしまいました。また、働きの体系を分解しようとすると、時々取り返しのつかないことが起きます。幼いころ、なぜ階段を下りられるのか分析してしまい、階段を下りられなくなりました。もっともっと幼いころは、なぜノブをひねってドアを開けて中に入り鍵を閉められるのか分析してしまい、トイレに行けなくなりました。でも、こんな恐ろしささえも、面白がり、普段ならただ"そうである"だけの行為が分節化されるほど自分と濃密に過ごさざるを得ない時間が、敬うべき複雑さを湛えたあなたを労わることに結び付けば何よりです。今このときの、この分かちがたさの経験が、未来に活かされますように。
また、しごく具体的なことを言えば、毎日同じ場所で音を聞くことを続けていると、変化に気づくようになります。パンジャブから200㎞先のエベレストが見えるような音の変化が、あなたのそばで今後起こるかもしれません。
今実践していること
自分が本当にやりたいことだけを見極めて、人と比較せず、勇気をもって取り組む。
オンラインのパフォーマンスが、どこまで鑑賞者の現在性を引き出せるか実験中。
たくさん音楽をつくる。
「意外と悪くないな」と努めて結論付ける。
現在の自分を許しすぎて、怠惰に埋没しない。
ひとりでないことの有難みを忘れない。
過去や歴史に学んでも、作品に使わない。
今大切にしていること
未来