アクティヴィティ・パレット
望郷、あるいは
アームチェア・トラヴェラー的旅のすすめ
-利休と円空を目指しての、キュレーター的、アート・リテラシー的日常と非日常について
提案者:新見 隆
[ 古里、尾道 ]
年がら年中旅していたような時代もあったが、だいたいはしち面倒臭い旅行より、家にずっと居て、音楽聴いたり本読んだりしながらソファーでゴロゴロしているのが好きな、怠け者である。本読んで空想の旅をするのを、アームチェア・トラヴェラーというらしい。
人は何故旅をするのか?
その理由はいくつもあるだろうが、究極は、「生きていることそのものが、旅である」ということを自覚することだろう。
だから、家でゴロゴロしていても、旅には変わりないのである。
古里、尾道の大先輩は、かの「私は宿命的な放浪者である」の『放浪記』の林芙美子であって、昭和初期の大ヒット作家は、尾崎翠と並んで、僕の分身みたいな人物だ。
故郷出奔者としての僕は、「もう、あんなとこ二度と帰ってやるもんか」と嘯きながらも、身体中に染みついた、故郷の路地の匂いや海の香りを東京郊外のサナトリウム村で暮らしながら、反芻しているのかも知れない。
歳九十五を過ぎて元気に故郷で一人生きているお袋は、戦後の洋裁世代で、その職人技で僕を育てた。だから、未だに着ている服はお袋手製の自前、カスタム・メイドで、背広じゃなく作業着だから、小学校の「スモック」のつもりで着ているだけだ。
根っからの美術館学芸員、キュレーターだが、母方の大叔父は看板屋、いわば職人の家系であるし、子供の頃から大工道具などの扱いはお手のものだった。絵も工作も大得意中の得意、上手いかどうかは別にして何でも好きで手が動く。生まれ育った町の通りには、その看板屋や、トタン屋、桶屋などが軒を連ねていた。町中に、画材屋や画廊喫茶があったし、その話しをすると小説が書けてしまう。


左 : 「イダ・ルビンシュテイン」、ディアギレフの率いた「ロシア・バレエ」団のダンサー。異端の画家ロメーヌ・ブリュックスが描いている。
右 : 「ヴォルタリン・ド・クレール」、ポール・アヴリッチの優れた評伝『アメリカのアナーキスト』で知った。すごい人が居たものだ。
[ 利休、あるいは円空 ]
ずいぶん大袈裟じゃないか!と叱られそうだが、日本の元祖学芸員を利休だと信じている僕は、当然目標も、利休ということになる。
学芸員の駆け出しの頃に、ずっとつくっていた、コラージュや箱の作品を、今は無い、大阪は江戸堀にあった伝説的な現代美術の画廊、児玉画廊で見せたのが始まりだ。ディレクターだった加藤義夫さんが、「新見のは文学的アート、それが珍しい。小さいのも面白いし」と言ってくれたお陰だ。彼は今、宝塚市立文化芸術センターの館長として活躍している。爾来、まあ言わば、「歌って踊れる」学芸員になった訳である。
職業的にいえば、生涯一キュレーターだろうと思えるのだが、その関係で美術大学の教師である。教えているのは、むろんキュレーターの実際、ミュージアムについて、如何にしてキュレーターになるかなどだが、まあその中には芸術哲学も美術史も、詩もダンスも音楽もぜんぶ入っている。だから「何教えているの?」ときかれたら、「芸術に対する、愛と情熱」と答えたりもするが、煙に巻いたようで、何も答えていないことになるのかも知れない。学生には、時に「学芸員は、文化の総合的巨人、ディアギレフたれ!」と檄を飛ばしている。
僕は日々、「モノ」をつくり続けている。生まれてこの方ずっとで、作家としては、円空を目指している。大仰な話しではある。
三十代の半ば、ある正月元旦に、何故だか突然思い立って、家にあったお袋の使った端切れを縫って、人形のようなものをつくった。気持ちが悪くなって、寝込んだのを覚えている。
たぶんベルンの美術館で見た、パウル・クレーの人形が脳裏から離れなかったらしい。所詮、エピゴーネンで、何でも「良いなぁ」と思うとすぐに手が動いて、真似してしまう。節操が無いのかも知れない。箱やコラージュも、むろん、戦後のアメリカが生んだ、屈指のユニークな美術家ジョセフ・コーネルへの傾倒がそうさせた。もちろん、箱もコラージュも未だにやっている。まあ、人形だって、継ぎ接ぎだから、コラージュみたいなものだ。実は詩も短歌もやっているし、発表したことは無いけど、小説も時に書いている。つくるのが、何でも楽しいのである。
[ 新しい芸術の形式を求めて ]
利休は、よく「侘び茶」の大成者と言われるが、まあやはり、「新しい芸術の形式」を開発しようとした偉大なる、芸術形式創案者、でしょう。
僕のは、分かり易く今風にいうと、「アート・リテラシー」的美術、ということになるのだろうが、コラージュでも、箱でも、人形でも、僕が好きな詩、小説、音楽、バレエ、ダンス、哲学、など何でもその作品か、作家へのオマージュである。なんの気なしに日々つくっているし、どんなものに成るのかも成り行き任せの、全く無手勝流なんだが、まあ「これつくってみようかなあ」という、テーマというか、タイトルだけはだいたい最初からある。
だから、読んだ本、聴いた音楽、観た舞台の、記録というか思い出というか、そんなものを形にしているだけだ。受けとって、感じる、感動する、それが無いなら、まあ何もつくらないし、つくる気がしない。
「インプット」が無いとつくらない、というと分かり易いだろうが、まあそういう事である。
ここでおすすめするのは気恥ずかしいかぎりなんだが、今の時期こそ、行った場所や行きたいところに旅したつもりで、そこに因んだ音楽やら、本を読んで、架空の町をスケッチしたり、そこ行ったらこれ食べたいなあ、という料理をつくっても、あるいはつくらなくても、描くだけでも愉快なのじゃないだろうか。
今やっているのは、もう一つ、今流行りのインスタグラムなるもので、これは主に、晩飯の料理を写真でアップしている。その日感じたことを書く、日記がわりなのと、主たるプロジェクト・ミッションは、「日がな一日台所に立っている女房を、料理研究家としてデビューさせること」だ。
娘は、「お父さんほど、ストライク・ゾーンが狭い変人の好みが、一般受けする訳がない」と断定するが、さもありなん。
僕は上手い料理を食べるのが好きなだけではなく、せっかくの美味い料理を写真に撮るのだけでは満足せず、よく絵に描いている。女房を入れて描くことも多い。これも敢えていうと、料理リテラシー、ということになるが、僕は美術もさることながら、音楽が大好きで、食べた料理を音楽に例えるばかりでなく、実際にその音楽を聴きながら食べて、それらが「合うか、合わないか?」、そういう、人が聞いたら下らない、と訝ることすらよくやっている。
まあ、大人のままごとみたいなものだ。まあ、覗いて笑ってください。
Instagram@niimi.2133
あるいは、キュレーターの食卓
[ 新しい文化ツーリズム ]
ミュージアムは永遠だと思うけれど、その付加的というか、さらにプラスα、新しい形を探りたい、という気持ちで、栃木県那須で、北山ひとみさん、北山実優さんとやっているのが、アートビオトープ那須、という芸術家村だ。
簡単にいうと、文化ツーリズムの新形式だが、ガラスと陶芸の工房、建築家石上純也さんが設計した珍しい人工=自然の「水庭」、坂茂さん設計のヴィラ群がある、滞在できる「共感共同体」と、新しい「ライフ・リテラシー」の提案をしている。
僕もそこで、コラージュのワークショップをしたり、満月の夜に美味しい料理を食べて水庭を歩く会やらをやったり、季節ごとに「ラストラン・リテラチュール」という、「本に書かれた料理を読んで、食べる」料理をシェフやオーナーと考えて、絵葉書に描いたりしている。
まあ、展覧会も見ることが出来るし、部屋にも随所に、面白い作品が設置されてあるし、つくろうと思えば誰でもつくれるような、泊まれる五感のミュージアム、という訳で、是非ホームページをのぞいてみていただきたい、と思う。

(註)
論文じゃないから構わないだろうが、さまざま、人物、史実の詳細など、出典をほとんど覚えていないが、いずれ全て、先人どなたかの書かれたものの借用であるのを、明記したい。

新見 隆(キュレーター)
1958年広島県生まれ。武蔵野美術大学教授。アートビオトープ那須文化顧問。イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問。西武美術館・セゾン美術館で、学芸員として勤務。元大分県立美術館館長。
著書に『イサム・ノグチ 庭の芸術への旅』(武蔵野美術大学出版会、2017)、『キュレーターの極上芸術案内』(武蔵野美術大学出版会、2015)、『モダニズムの庭園と建築をめぐる断章』(淡交社、2000)など。
2011年「ウィーン工房1903-1932」展(パナソニック汐留美術館)の監修によって西洋美術振興財団学術賞を受賞。作家として人形、コラージュや箱、食のスケッチの展覧会を開いている。
(2021/2/5 時点)
今回のアクティヴィティを提案したおもい
誰でも好きなものがあって、それを大事に宝物のように抱えて生きている。
今の時代だから、この宝物をいろいろと、日々毎日もっともっと大事にすることが、芸術やることだ、と自分では信じてやっているだけのことでしょうか?
音楽でも本でも、それぞれの産地があるから、聴いたり、読んだりは、何でも「旅」になる訳なんじゃないでしょうか。僕のアームチェア・トラヴェルの敢えてお勧め?的「旅」本をあげると、『放浪記』は別にしたら、『ドリトル先生航海記』に、中島敦の傑作『光と風と夢』、そしてイタロ・カルヴィーノの『見えない都市』かなあ。それぞれ文庫やら良い訳で手軽に読めますから。
今実践していること
授業がある日、仕事がある日は、それを最優先にします。
あとは、午前中は「文字」を書く、午後は「作品」をつくる、早く食べて(一日一食なので)早く寝る(夢を見るのが、大好きなので)。
今大切にしていること
宝物を、宝物として大事にすること。