アクティヴィティ・パレット

「歩をかじる」
あなたの日常の数式

 提案者:秋山さやか

私はちいさい頃、
 「この上を真っ直ぐにあるく
  落ちたら終わり」

と空想して、道路の縁石や線の上を歩いてた。
その設定は時々で
空の上だったり 海の上だったり 宇宙だったりした。
きっとこれは誰しもが持つ経験であろう。

いま、ぶらぶら出歩く事が難しい世の中になって、
けれど自分というものの中を旅するだけは自由で、
こんな時だからこそゼロから想像を働かせ、
こころの中を巡ってみてほしい。

 人は線1本で「世界」を創れる。
 それはとてもすごい事なんだと思う。

私のアクティヴィティの提案、
というかこの身を持って実験してみたこと、
それは、何か形ある物を造形したり絵を描いたりでない、
ただ「数をかぞえる」こと。

あなたは
今朝起きて、歯を磨く時に何歩歩いただろう?
玄関で靴を履くまで何歩かかった?
教室や仕事場に入って席に着くまで何歩だった?
これを、アプリや万歩計に頼らずに、
敢えてアナログで、自分自身で数えていったらどうなるだろう。
あなたの頭の中で、歩いてみよう。

このアクティヴィティの対象者は、だれでも。
家族や友人同士、クラス単位でおこなっても面白いと思う。

2021年 1月26日火曜日〜3月23日火曜日・57日間 8週間。
私は、毎日毎日毎日、
1つの動作を切り取って、それに要した歩数を記録し続けた。
いづれも何気ない日常の1コマに過ぎないものばかり
 雨戸開ける時 電気点ける時 猫に餌やる時 洗濯物洗う時
 お布団干す時 コーヒー淹れる時 近所に買い物出る時
 ご飯を作る時 食べる時 爪切る時 お風呂入る時 眠る時
 などなど・・・
私は、このいわゆる〝歩を刻む〟行為が、
歩数をぽりぽり食べている=かじってる みたいだなぁと感じ、
「歩をかじる」と名付け、日々、儀式の如くこなしていった。

ー例えば、40日め

2021年 3月6日 土曜日 07:41〜08:05

「コーヒーを淹れる 1口めを飲むまで」歩をかじる

37
34+10+12
0.5×2
2
0.5×2
0.5×4
0.5×2
66
18+9+9
4
41
4
10
14?
3
5+2
30
10+4

0.5×2
0.5 右
0.5×2
0.5×2

ー例えば、30日め

2021年 2月24日 水曜日18:18~18:53

「近所のドラッグストアへ買い物」歩をかじる

23
7
135?
318
235
400(300?)
33
10
16
① 28+6
② 9+2+4
③ 46+1+4.5
④ 18+5
⑤ 2
⑥ 13+5
⑦ 17+3
⑧ 15+2 +3
⑨ 8+4+4?
⑩ 14+2
⑪ 78.5+35.5+2 +2
⑫ 100+8
⑬ 60+2
⑭ 17+5
20 +4+26 16? +20.5
10
13
304(204?)
216(316?)
213
295
14
16

こうして書き出してみると、
私の行動を打ったレシートみたいにも、思えてくる。

紙に手で表記するのも面白かった。
17日め「お布団を干す」約4862歩ぶんを清書したら全長2m37cmに、
31日め「ご飯ごしらえとかたづけ」は、約4964.5歩ぶん4m48cmに。
ーーーーーい紙は、道のようであった。

カウントは1動作で区切って数えている。
だが、足踏みは?摺り足はどうする?座ってる時の足の動きは?
椅子でお尻を動かしてもカウントする?・・・など悩ましく、
0.5や0.25にしたり、左右と分けたり細かく細かく分類して、
頭の中で刻んでた。
ー例えば、こんな内訳になる。

3月21日 日曜日 02:47~02:58「猫の朝(?)ごはん」

92  (猫のところに行く)
15  (探し物)
12.5 (猫のフード取り出す)
22  (電気つける)
80  (ご飯あげる)
153.5 (片付け)
38  (手を洗う)

また、数えている最中に、違うことを考えたり人が話しかけてきたり
して歩数がポロポロ抜けてしまうこともあったり、100歩を超した後
に今200代だったか300代を数えているかわからなくなったり・・・
そういう場合は ? をつけた。
「歩をかじる」の中には、その時々の心の揺らめきや感情も
織り込まれているのだ。

この数字は、大人と子供の歩数・男女の歩数、
それぞれの部屋や住環境によって生活リズムの差でも、きっと変わる。
他人や動物の動きを追ってみるのも楽しいと思う。
教室の中でのクラスメイトの同じ時間の歩数や、
家庭での家族やペットの歩数を比べ合い、
後でみんなで見せ合いっこしても、とても興味深くなるだろう。
ちなみに、私は猫の歩をかじってみたのだが、足が4つだから
4回分カウントするのか前足後足でセットにするのかなど
悩ましかった。でも、他人(猫だけど)の動きを追う方が
自分のを数えるより楽だった、不思議。
それから、同じ行動を連日数え続けるのもおすすめだ。
私はコーヒーを淹れる歩を12日間かじり続けたが、日によって違いが出た。

いわばこれは、「ごっこあそび」のような側面もあり、
それぞれのルールを作るとより面白くなるだろう。

記録の仕方もいろいろな方法があると思う。
私の例だと、はじめスマホで打っていたが、
結局紙に書き留めておくのがいちばんやりやすかった。
私は、口ずさみながらカウントすることが多くなった、
そうすると数が抜けにくい。しかもマスクしているので気づかれない。
マスク生活も、こんな点は便利であるものだ。

さて、大事にだいじに集めた歩数たちをじっと眺めてみる。
すると、この数の羅列が、何かの数式に見えてくる。
なぜここで歩数が多くなったんだろう?この0.5の連続は何だったっけ??
とか、数式を解こうとするが如く、想像がかきたてられー
途端、いつもの日常のありきたりな行為が、
ごちそうみたいにキラキラしてくる。
絵を描いたわけでも物を造形したわけでもないのだけれど、
そこには不思議と1つの世界が生み出されていた。
これは、「自分だけの日常の数式」なのだと、私は思う。

この、小さな小さな1人の小さな小さな歩を、
こつこつ かじってると、
天から神様が顕微鏡で人間を観察している目線のようにも
感じてしまう。

人は数字1個で、「世界」を創れる。
それはとてもすごい事なんだと思う。

  あなたの、日常の数式を作って、解いてみて。

*ひとつだけ、このアクティヴィティで注意してほしいこと。
それは、カウントしつつ歩いてたら、数に集中してしまい、
他のことが頭から抜けてしまう、という点だ。
私も「歩をかじり中」は、着ぐるみに入ったみたいで、
歩行や会話がいつもより大変であった・・・。
だから、実践される方は、特に外を歩く時や道具を使ってる時などは、
じゅうぶんに、お気をつけて!

秋山さやか

秋山さやか(美術作家)

兵庫県生まれ。女子美術大学美術研究科修士課程修了。
国内外さまざまな土地で生活し、そこでの行動と記憶をもとに
「時間のあしあと」を探ってゆく制作を続けている。

主な受賞歴:「フィリップ モリスアートアワード」大賞(2000年)、「ダイムラー・クライスラーグループ アート・スコープ2001」受賞(2001年)、「第二十一回 タカシマヤ美術賞」(2010年)受賞、「日産アートアワード2015」7ファイナリスト選出(2015年)など。
近年の主な展覧会:2020年「秋山さやか展 米子をほどく 2009-2019」(米子市美術館/鳥取県)、「The Art of Transformation-Residency as a way to engage with craft」(国立台湾工芸研究発展センター/台湾)、2016年「さいたまトリエンナーレ2016」(市民会館おおみや旧地下食堂/埼玉県)、2012年「始発電車を待ちながら」(東京ステーションギャラリー/東京都)、2008〜2010年「Great New Wave: Contemporary Art from Japan」(ハミルトン美術館/グレーター・ビクトリア美術館/カナダ) など。
主な作品収蔵先:東京都現代美術館、霧島アートの森、日産自動車、ダイムラー・クライスラー、ワコールアートセンター、サンドレット・レ・レバウデンゴ財団美術館(イタリア) など。

http://sayakaakiyama.com
(2021/3/31 時点)

今回のアクティヴィティを提案したおもい

「あなたの『中』にある あなただけの世界」
に、関心を持ってみて欲しい。

そして、物をつくるという作業にあまりハードルを感じないで。
数を数えるだけでも 表現は始まる、
いつもの日常だって見方を少し変えるだけで 特別な存在になる。

今実践していること

毎日毎日、私の記録をつけること
―これは日記というより、「わたしの観察日誌」。
食べたもんの内容やら夢やら何やら・・・つぶさに。
今日2021年3月30日で162日め。

しかしこの行為は、私にとって少しイレギュラーである。
私の作品は、自己の行動と心の動きを追求するものなので、
制作中は四六時中それこそ寝ている間も
自身を監視するように、もう1つの目が働いている。
まるで「小さなドローン」が、私の上を24時間張り付いてるよう。
しかし、制作が終わってオフになったら、
この小さなドローンは私の上を飛ばなくなり、
「あぁ、もうこの行動は作品にせぇへんでもええねんな」と、
本当の意味で制作は終了していたのだ。
ところが、現在は「観察日誌」を続けているから、
小さなドローンは私を追っかけてる、いまも。

今大切にしていること

毎日の同じ風景であっても
ちびちびと視点ずらして
わたしの「感覚の立ち位置」を変えてゆくこと。
太陽の高度が推移するみたいに。